尋ね人
但野芳久さんからの依頼
但野芳久さんからメールを頂きました。
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相馬鹿島生まれの夜ノ森育ちそして小学校3年三学期後半に父の死去により現在の気仙沼市に移り住みました。
但野芳久と申します。昭和22年3月生まれです。
夜ノ森小学校の1年生の時の担任は小林智恵先生でした。小林智恵先生は現在旦那様が亡くなり横浜の方に疎開しております。
小学校1年生の遠足は桜トンネルでした。その時の集合写真が1枚残っているだけです。その時の同級生たちと何時も会ってみたいと思い続けておりました。
在京富岡友の会をテレビのニュースで知りました。
今名前が出てくる方はケイコさん、菊池さん位です。定かでは有りませんが私の同級生がおりました教えて下さい。
突然で申し訳ございませんが・・・・
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もしご記憶がある方は下記まで連絡ください。
電話:070−6674−3310
担当 片寄 洋一
遠藤ヒサ子さん
遠藤ヒサ子さん (昭和23年10月生まれ)
名古屋市にお住まいの栗山紘和さんが捜しています。
住所は、夜ノ森駅下車としかわかりません。
御家族は、長女洋子さん、次女やすこさん? お兄さんは大工さん、他に妹が一人、多分5人兄弟。
学歴は 富岡2中?、富岡高校卒
昭和42年、43年頃、東京に住んでおり、その頃に栗山さんとお付き合いがあったそうです。
もしご存じの方がいらっしゃいましたら下記へご連絡をお願い致します。
電話:070−6674−3310
担当 片寄 洋一
在京富岡友の会に問い合わせのメールがありました。富岡町役場(郡山)にも問い合わせたそうですが判らなかったそうです。
ロイター通信写真記者からの依頼
「在京富岡友の会」に、ロイター通信の写真記者ギムギョンフンさんから、次のように避難住民の尋ね人の依頼がありました。 会員やホームページをご覧の方で、お知り合いの方がおられましたら、「在京富岡友の会」事務局までご連絡ください。
在京富岡友の会事務局
私は、ロイター通信の写真記者ギムギョンフンです。 韓国人ですが6年前からロイター通信の東京支局で働いていて、 去年 3月からは福島問題を集中的に取材して来ています. 2011年3月12日深夜12時頃、 私は郡山の総合競技場で福島第一原発の周りの町から避難された住民たちが放射線検査を受ける場面を取材しました。 そのとき、大熊町(※その後の連絡で大熊町以外の可能性もあるとのことです:事務局)の子どもさんとお母さんを撮影しました。 以下は、その時私が取材した写真です。
この写真は、ロイター通信を通じて全世界で配布になって当時日本を含め外国の多くの新聞と雑誌で使われました。
この写真は今も福島問題を象徴する写真と呼ばれています。 その頃、大混乱でしたので、私はその子どもの名前などを訊くことができなかったのですが、昨年からその女の子を探しています。 その訳は、その子どもさんが元気に暮らしているかを知りたいのと、 私の感謝の心を伝えたいからです。当時同時に撮った他の写真もあります。この女の子のお姉さんは、幼稚園に通う年頃と思われますし、その横にこの子たちの母親と思われる女性も見えます。 もし、この子どもやお母さんに対してお知り合いの方がおられましたら、ご連絡をお願いいたします。